源昌寺は佐賀県鹿島市にある浄土宗の寺院です。本尊は阿弥陀如来です。江戸時代に山浦(南川・川内・山浦)及び本城の一部を所有していた深江氏の菩提寺です。 享保18年(1733年)に建立された享保の飢饉の供養塔があります。

仏教講座

普段耳にしますが、それはどんな意味があるの?と思うような仏教用語・作法があると思います。
このページは全部とはいきませんが、そんな疑問に思われるものを解説いたします。

焼香・線香
焼香は香を焚いて仏前に供養することです。その香りが心を清め、また香煙に乗って諸仏が道場に来臨されるといわれています。焼香の回数は「焼
香の伝」により一回ないし三回とされています。
①一回は「一心不乱」

②二回は「戒香」と「定香」
③三回は「三毒の煩悩を焼き尽くす」
ことの表示が伝えられていますが、葬儀など大勢の人が焼香する場合は一回の焼香で結構です。
焼香の作法は、
①右手の親指・人差し指・中指で香をとり
②そのまま仰向けて左手の平で受け
③頭を下げて、恭しく頂き、真心を込めて焼香をいたしましょう。


※三毒とは、仏教で克服すべき三つの煩悩で貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を指し煩悩を毒に例えたものです。貪は「むさぼり求める心」、瞋は「怒りの心」、癡は「真理に対する無知の心」です。
数珠(じゅず)
数珠はヒンドゥの神々の装身具・随身具が仏教に取り入れられたものと言われています。「陀羅尼集経」には、仏教徒が仏菩薩を礼する時に用いる法具であることが記されています。念珠・誦珠・呪珠などとも書かれますが、浄土宗では念仏の数を数えるのに用いられることから、「数珠」と表記しています。珠の数は百八三昧を証し百八煩悩を断ずることを表すとされる百八顆(ひゃくはちか)が基本でありますが、その二分の一、四分の一の五十四、二十七顆などが用いられます。
戒名(かいみょう)
現在、戒名と言えば誉号・位号等を含めた法号全体を指しますが、本来の意味は戒を受けた仏弟子に授けられる二文字のことであり、これが仏教徒の証です。しかし、今日では授戒(じゅかい)を受ける機会が少なく、枕経・通夜において三帰戒を授け、生前の功績・信仰心・人柄にふさわしい院号・誉号・道号・位号を授与されるのが通例です。
年回法要
故人の冥福を念じて行う供養を追善回向といい、一周忌・三回忌等の年回忌に勤める追善回向のための法要を年回法要といいます。追善回向のこころは、本尊を供養することによって得た功徳を故人にふり向け(回向)、仏果の増進を願うことです。
彼岸会(ひがんえ)
「彼岸」とは理想の世界、つまり極楽浄土を意味する言葉であり、迷いの此岸(しがん)に対して悟りの世界を指します。彼岸会とは春分と秋分の当日をはさんだ前後各三日の七日間の法会(ほうえ)でその起源は古く聖徳太子の時代とも言われています。日常の生活を反省して仏道精進する期間とされています。
供養
「塗る・彩る」などを意味する「プジャーナー」の訳で「供給資養」の意味です。仏・法・僧の三宝をはじめ、父母・師・先輩・故人に対して香華・飲食などの供物をささげ敬意を表すことです。浄土宗では、五種正行(ごしゅしょうぎょう)の一つに讃歎供養正行(さんたんくようしょうぎょう)があり、阿弥陀仏を讃え、物心をささげることとされています。
一蓮托生(いちれんたくしょう)
極楽の美しい池の同じ一本の蓮の花の中に共に生まれることを意味します。
他力本願
極楽往生のために、いかなる罪悪生死の凡夫をも救い取る阿弥陀如来様の強力な本願を頼ることを意味します。俗に「他人の力をあてにすること」をさしますが、それは誤りです。なぜなら、極楽浄土を望むときには自力で戒を保ったり、精進したりすることではなく自己の凡夫性を自覚して阿弥陀如来様の衆生を救済しようという願いの力によることが大切だからです。その願いとは、無量寿経に阿弥陀仏の四十八願があり、また特にその第十八願(念仏往生の願)を指します。
塔婆(とうば)
塔婆とは、卒塔婆の略でストゥーパの音写です。供養のために堆土・石・瓦・木などで塔状に作られた構築物を指します。似たものに支堤があります。両者の区別は舎利の入ったものが塔婆で、そうでないものが支堤でありますが、現在は混同されています。普通、「塔婆」と呼ばれているものは、板または柱の上部を五輪塔の形をしたもので、板塔婆、角塔婆といい追善供養のために造塔に擬して建てられます。形は下から方・円・三角・半円・宝珠で「地水火風空」の五大を表しています
往生
この世で生を終えて、極楽浄土に生まれることを「往生」と言います。広い意味では弥勒菩薩の浄土へ生まれること、十方諸仏の浄土への往生(十方往生)などもあります。往生の手段としては念仏往生・諸行往生などがありますが、日本においては法然上人が称名念仏を説かれ、阿弥陀さまの名を称えることによる念仏往生が一般的です。